【後編】歴史に学ぶ、負けて学ぶ、そしてその先に。
まだ前編を読まれていない方はぜひそちらを先にお読みください。
これからどんな会社を目指していきたいか、それを知っていただける記事になっていると思います!
ぜひご覧ください!!
歴史に学ぶ、負けて学ぶ、 そしてその先に。
我が社の前身は、一九一八年創業の山県屋材木店で、昭和二十一年に岐阜市鶴田町で製材工場を新設し国産材を製材しておりました。時代背景は戦後直後の何もない大変な時期であったと思います。
恵まれない時代でしたが、私のうっすらと残る記憶の中では、みんな明るく強烈なエネルギーを持っていました。
それが今でいうアニマルスピリッツだったのかもしれません。
〈負けて学ぶ〉〈信玄の戦略〉
戦国武将の武田信玄は戦国最強ともいわれ、もし病に侵されなければ天下を統一していたかもしれません。
信玄は、中国の軍略書「孫子」を愛読し、戦いの在り方も研究しておりました。戦いの勝ち方にもこだわり「およそ戦というものは五分もって上とし、七分をもって中とし、十分をもって下とす」と記されています。その意味は「五分の勝ちだと今後に対し励みの気持ちが生じ、七分の勝ちは怠り心が生じ、十分つまり完全勝利だと敵を侮り驕りの気持ちが生まれる」というものです。これは時代は変われど現在にもそのまま通じます。
その武田信玄に三方ヶ原の戦いで大敗をしたのが若き徳川家康です。老練な信玄の策にはまり、わずか二時間位の戦いで大敗し、浜松城に逃げ帰りました。しかし家康はこの時の大敗に多くを学び、後に天下統一を果たしました。
これらはほんの一例ですが、歴史から学ぶことは多くあります。私たちは日々何らかの仕事に携わっておりますが、最近のコロナ禍やウッドショックのようにグローバルな大変化に遭遇することもあります。
「当社の業容は、数字だけ見れば直近前月対比で連戦連勝と勝利を重ねましたが」私たちは今、全勝の中に潜む大敗の因子を忘れてはなりません。「治にいて乱を忘れず(平穏無事の世の中にいても、つねに乱世のことを考えて、準備をしておかなければならぬという教訓)」の心構えが必要です。
〈風林火山は商売の極意〉
「疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如し」これが信玄の戦いの基本です。つまり風のように素早く進軍し、林のように冷静沈着を保ち、火のように激しく攻め込み、山のように泰然自若として動揺することなく堅く守ることを意味します。
その中でも(静かなること林の如く)は戦いの上で統制された軍ほど整然としており、静かに集中してその時を待つ 。
つまりは強い軍勢ということです。いざというときにまとまり、力を発揮するのがプロの集団です。
〈戦わずして勝つ〉〈強さの秘密は人〉
信玄の軍制は「赤備え」で有名です。赤い鎧や家具で武装した大軍が風林火山の旗を掲げて対峙すれば、相手は戦う前に恐れを抱き戦意を喪失しました。また信玄の人柄を敬い有能な武将が集まりました(武田二十四将が有名)。隻眼の策士、山本勘助や真田幸綱らが有名です。結論、戦国最強と言われた武田軍団は強力で個性豊かな人財に支えられていたということです。
〈そしてその先に 〉
現代はかつてない変化の時代でスピード感はどんどん増しています。その中で私たちはさらに時代を先回りして簡単に真似のできないビジネスモデルを構築する必要があります。
目指すは地方にあって「キラリと光る宝石のような会社」。
岐阜から全国へ、そして世界へ、地方を元気にすることと会社の成長を両立させる、これが我々のミッションです。
私の心の中はいつも 「 NO Challenge NO Life」 です。
吉田芳治
代表取締役社長
1951年岐阜生まれ岐阜育ち。
上記では武田信玄について熱く語ったが 本当は上杉謙信が好きらしい。今の楽しみは孫と一緒に城巡りをすること、全国100名城のうちかなりの城を巡ったんだとか…。