ブログ

昔は材木屋だった?

ヤマガタヤ産業は、住宅に関わる様々な資材を取り扱う「住宅資材総合商社」ですが、昔はタイトルにもあるように「材木屋」でした。
それを裏付けるのに弊社でよく使っている写真が下の写真ですが、これがまだ材木屋だったころの写真です。

今も木材を軸に幅広く様々な商品を取り扱っておりますが、軸が「木材」であるのは、元材木屋だからというルーツがあるからなのです。

ところで、材木屋ってなに? と思われますよね。
材木屋とは…

材木を売る店。また、それを業とする人。 木屋(きや)。

参照:コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E6%9D%90%E6%9C%A8%E5%B1%8B-508561)



つまり、木材を仕入れ集めて売っていたようです。

こちらの右の写真なんかは分かりやすく丸太がたくさんあり、まさに材木屋と伺える写真ですね。

そんな、材木屋というルーツを経て、変わったことと、変わらないものがたくさんありますが、一番特長的なのは「製材」です。


その当時、今から30年ほど前だと聞いていますが、ヤマガタヤ産業で「製材部」が存在し、実際に「製材」をしていたそうです。

その30年ほど前に実際製材をしていた唯一の社員が残っていますので、少しだけ話を聞いてみました。

今はリフトマン。
写真は恥ずかしいとのことでリフトの写真です。

どんな木を引いていたんですか?

米松やな。他にもお客様から柱の反り直し頼まれたりしとったなぁ

大体どれぐらいの期間やってたんですか?

俺で10年ぐらいやないか?
それから会社の方針でなくなったけどな。
確か4人ぐらいで製材しとった。

その時の印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

とにかく危険やった。オビノコが切れて間一髪で助かったりしたなぁ。
それに冬は寒かった。機械を回しとると風が吹くから余計にな。
でも、 そういうことがあって今があるから、今となってはいい思い出やなぁ。

刃物を扱う機械なので、当然危険は付き物の仕事だったと思いますが、なんだかんだマイナスなことを言いながら、振り返ってしみじみされているようでした。

今は製材部自体がなくなってしまったので、製材機があった倉庫もただの倉庫。
当時製材機のハンドルマンでしたが、今はリフトマンとして仕事しています。
なんだかんだ体がえらいといいつつ、お客様がみえたり、トラックが入ってくると誰よりも先に動いてくれている社員です。

さて、ヤマガタヤ産業のルーツは「材木屋」にあるということで書いてきましたが、今でも「木材」が軸であるということはブレずに、木材が人に与える効果について岐阜大学と共同研究をしたり、木材を使った新しい商品を開発してみたりと、今でも「木」に対する想いというのは変わってないです。

ぜひ、詳しい話は会社説明会にて!